能登半島地震

 3月8日午後5時、静岡を出立。9日~11日、「ボラキャンすず」でテント泊をしながら、被災地をまわり、11日夕方16時頃、静岡に戻りました。

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3月9日(土曜日)

 昨日(3月8日)午後5時に静岡を出て、高岡駅前に宿泊。今日(9日)、早朝出発、いま氷見から雪になった峠道を超え七尾、通過中。能登道路、一応通れますが各所で崩れてます。お天気はよくなりました。穴水から珠洲にむかってます。昼前に珠洲市役所に寄る予定です。FBはこちら→


 3月9日11時、珠洲市役所に到着。環境建設課でお話を伺いました。建物被害が甚大で、建物の応急危険度判定、応急修理事業、仮設住宅の建設などすすめているとのことです。住宅再建にかかるやや専門的なボランティアについて、需要はあると思うとのことでした。市役所は、既に2ヶ月たっているためか、緊張感が感じられましたが、全体に落ち着いた雰囲気でした。その後市役所周辺を見学。中心商店街ですが、建物被害がひどかったです。FBはこちら→


 3月9日午後一、珠洲市正院町飯塚地区、旧飯塚保育所避難所で、責任者のSさんにお話を伺いました。 飯塚地区は約50戸、すべての住戸が準半壊以上、全壊も多い。家の周囲の地盤沈下もあり、周囲の土砂崩れも各所にある。孤立した家もあった。みなそれぞれ事情は違うが基本的には自分の家で暮らしたいと思っていると思う。住宅再建にかかる相談は、必要と思う、とのことでした。 仮設住宅は、取り敢えず保育所敷地内に20戸建設される予定。完成時期は未定。 その後、住宅を見てほしいとのことで、Nさん、Sさんのお宅を見学。Nさん宅は外観は大きな損傷はみえませんでした。が、内部は壁の一部がはがれ落ち、建具は動かなくなっていました。浄化槽は周囲の地面が動いたようで不同沈下がおこってました。同行の森さんが振り子で、柱をチェックしたところ、垂直方向で1.5%の傾きでした。後で静岡の構造専門家に確認してくれ、その程度なら問題ないとのことでした。今後の補修の際、何箇所か筋交いを入れたほういいとアドバイスしました。 Sさん宅は、家の周囲の地盤沈下がおこってました。地震のときは経験したことのないすごい揺れとのことですが、家の変形はほとんどなく、パイル杭をうったという効果はあったようです。動かない建具は、建具の方を調整すればよいようです。 その後避難所に戻り、地域のコミュニティを大切にすべきこと、今後地区の復興についてまちづくりの考えかたが必要になるなど情報交換をおこないました。FBはこちら→

3月10日(日曜日)

 3月10日、朝、ボラキャンすずを出発。まず雲津地区、小泊地区を見学しました。避難所になっている珠洲市小泊地区の金沢大学能登学舎(旧小泊小学校)を訪問し、雲津(もづ)区長のTさんにお話を伺いました。 雲津地区は70戸、今は50戸くらい地元にいない。今、避難所には10世帯20人いる。建物の被害はひどくて、10戸のうち7戸はほぼ全壊、補修して住もうというひとは3戸くらい。 そもそも今は地元にいる人が少ないし、今段階だとあまり相談したい人も少ないのではないかと思う。とのことでした。当方から、また今後具体的な予定をつくり、お伝えするので、またそれを見てご判断頂きたいと、お伝えしました。 そのあと蛸島地区、寺家地区、禄剛崎を見学、小泊の典座で食事しました。なんとそのあと、輪島の朝市地区に向かいました。FBはこちら→


 3月10日午後、輪島の朝市通り地区を見に行った。想像以上にひどい状態だ。発災後2ヶ月以上たっているのに全くの手つかずの状態。倒壊した7階建てビルもそのまま。復興できるのか本当に心配。
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3月11日(月曜日)

 3月11日、朝5:30、ボラキャンすずを出発。本日夕刻までに帰静予定。輪島市南部にある能登の古刹、總持寺祖院等のある門前地区に向かいました。總持寺は2007年の能登地震で大きな被害を受け3年前に落慶式を行なったばかりだそうです。しかし今回も大きな被害を受け、関係者のショックは深刻とのことです。門前町も大きな被害を受けてます。

 次に同地区の海岸部の黒島地区に行きました。駐車場に車を止めると黒島港が見えます。この辺り、地盤が4メートル隆起したところです。見た目はもっと高低差があるように思いましたた。 陸地側は重要伝統的建造物群保存地区、通称重伝建、に指定されている黒島地区です。海沿いの街道筋に下見板張の集落が続いてます。砂質地盤でもあるためか、傾いた家も多く、また震動もひどかったようで、公開されている旧角海家住宅は全壊していました。

 その後更に能登半島西岸を南下し金沢市の郊外住宅地になっている内灘町に行きました。ここはもともと砂丘状の土地に宅地ができているようで、従来から液状化が懸念されてきた地域ですが、今回まさにその懸念が現実化してしまってます。液状化がひどく、道路とか宅盤が全体的に波打って、ほとんどの家が傾き、中には1階部分が傾きつつ地面に飲み込まれそうになっている住宅もありました。FBはこちら→


 3月11日その後、内灘町を出発、お天気は快晴だったので、予定していた関ヶ原ルートをやめ、来た道と同じ東海北陸道経由で帰ることとしました。途中立山連峰のすばらしい眺め、白川郷の雪景色などをかすめつつ、16時頃、帰静しました。 今回お世話になりました珠洲市飯塚避難所のSさん、小泊避難所のTさん、ボラキャンすずを運営しておられる法政大学水野先生、たいへんお世話になりました。ありがとうございます。 それと結構急でハードな行程でしたが、“SAVE IWATE しずおか” として同行頂いた伊豆市のMさん、下田市(静岡市)Sさんに感謝です。 ありがとうございました。FBはこちら→